Last Updated on 2023-09-25
|2冊の本
時は昭和から平成へ。昭和の経済成長と共にあったホテルは1990年過ぎのバブル崩壊で潮目が変わりました。
料飲部門では、地元の法人宴会にブライダル、そして、宿泊部門では、京都の観光市場を支える首都圏の経済冷え込みの影響を直接受けました。
これまで当たり前だったホテルの賑わいは、もう自然にはやってこない時代の始まりでした。
そんな折、私に突如と役員室への呼びだしがありました。
スーパバイザーの私がまず入ることはない部屋ですから、何か悪いことをやらかしたのではないか?と思いました。
恐々と入室すると一人の取締役が待っておられ一言、「両手を出して」。
全く意味も解らず両手にドン!と置かれたのは、2冊の分厚い本、それは、何と、韓国と台湾の旅行社名簿でした。
私が国際観光の世界に向かう最初の扉が開いた瞬間です。
今ではホテルも当たり前の海外へのダイレクトセールスも当時はほとんど実施されておらず想像もできないこと。
多くの社員から任命されたのは良いことなのでしょうが、その瞬間は何をするのかも解らず唖然とするばかりでした。
しかし、そこはさすがに会社が段取り良く準備をしてくれていました。初回は韓国営業に詳しい最高のコンサルタントを付けてくれていて、すぐに電話をせよということです。その人こそ、東アジア市場のホテル営業第一人者である、故・栗坂芳郎(くりさかよしろう)氏でした。
当時は九州別府の杉乃井ホテルの営業開発部長として活躍され九州の市場誘致に大きく貢献、後にYOKOSO JAPAN親善大使にもなられた業界関係者であれば誰もが知る方。今から思えば、それ以上の贅沢な指南は受けられなかったでしょう。
|マーケット第一人者、栗坂芳郎氏との出会い
不安と期待のソウル第一日目は、現地、ロッテホテルで待ち合わせとなりました。
社命を背負っているのですから、意気揚々でなければならないのですが、全く読めないハングルの看板ばかりのソウルの街はまるで異次元のようで、隣国なのにカルチャーショックを受けっぱなしでした。
それよりも、肝心の仕事に関しては、国内と違って、その仕組みすら解っていませんから、今思えば、ホールセラーもランドオペレーターもいっしょくたで、とにかく、この国の水に慣れることが最初は精一杯な感じでした。
恐らく、栗坂氏もそれは折り込み済みで、まずは慣れろと思ってもらっていたのだと思います。
そんなことで1日はあっという間。どこをどのように移動したかも解りませんが、今後、一人で来るために訪問した旅行社のビルと入り口の写真を全て撮りました。結局、風景など撮る余裕もなく、結局撮ったのは、ビルと入り口のドアだけ。後で見た時、風景の一つも撮っていないことを悔やむというより、自分の余裕の無さに笑えてきました。
栗坂氏とは、その後、何度か各国現地でセールス日程が偶然重なり、急遽、合同セールスや、食事に付き合っていただきました。
そして、夜のアポがない日には、韓国でも台湾でもお互い大好きなサウナで休息(大体は夜も誰かと食事)の時間を楽しみました。
それはソウルのホテルのサウナでのこと。サウナから出て涼みながら氏が言われたセリフが今も忘れられません。
「森田君、ここのセールスは本当に疲れるでしょう?こんなに1日中あちこちを走り回っているなんて、日本の本社は何も知らないと思うよ。きっと、適当に遊んでいるとか思われてるんじゃないかねえ~まあ、それでいいんだ」と、正に、裸の背中で言われました。
このシーンは今でも昨日のように鮮明に覚えていて、何だか今でも仕事が孤独でタフな時に思い出したりします。

